かく語りき

今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』を読む

内容はおおよそ題名のとおり。

「三世代同居で、子や孫に囲まれ、茶などすすって隠居暮らしをする老人」という、現代人の思い描きがちな老人像とはほど遠い姿が、そこにあることがわかります。

昔話の時代において、老人とは何歳以上の者を指すのか。老人の地位と扱われようはどうか。老人と性、他について。


かつての日本には、老人なんて単に長生きしただけの人でしょ?と見做す文化があったらしい。

現代の日本人である私たちは、祖先崇拝と年功序列と親孝行と肉親の情と弱者への配慮をごちゃ混ぜにしたものを「敬老」と呼んでいる。儒教文化とひとくくりにされることが多いが、乱暴だと思う。そして、それらのうち、新しい文化や作られた伝統と考えられるものを剥がしていくと、「昔話の主人公は爺さん婆さん」になる(と理解した)。


良いお爺さんと悪いお爺さんは共生できないという昔話の世界の世知辛さ、競争原理の厳しさ

言われてみれば確かに。親切な爺さんが勝手に花を咲かせて勝手に幸せになりゃいいのであって、意地悪な爺さんまで巻き込む必要はない。

でもまあ、説話は説話だからね。
やっちゃいけないことをやったらどうなるかを示さないと、人は話を聞かないし学ばない。


しかも「鬼婆」ということばはありますが、「鬼爺」ということばはありません。

老人差別に女性差別が加わった結果

と書いてある。でも、そのままうなづけない。女性差別はあったろうが、鬼婆はちがう事情じゃないかな。

鬼婆は、青年を襲う鬼が実は母だった話が多いらしく、また姥捨山は息子が母を山に捨てる話が多い。息子(と嫁)対老母の物語だ。では、そのとき老父は何をしていたのか。

要するに、女のほうが寿命が長いから、もしくは爺さんは別の理由で既に家庭から退場させられているから、婆さんが標的になっているだけだと思うのだがどうだろうか。


この本には、老人についてと同じくらいの熱量で女について書いてある。母系制から父系制への変革期における女の役割の話がとてもおもしろい。