かく語りき

今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

藤堂明保『倭国伝』を読んだ

後漢書から明史まで、正史に描かれた日本を原文と書き下し文、現代語訳でまとめた本である。

私は人並みに歴史に関心があるほうだと思うのだが、いわゆる歴史小説が苦手でどうにもこうにも読めない。よって、歴史の本を読みたいときは学生先生が書いたものを読むことになる。


が、この本は私には敷居が高すぎた。

「倭は帯方の東南海中に在り」
なんて文を延々眺めていてもあまり楽しくない。注釈はあるが解説がないので強弱を感じ取れない。私のような無教養者には、この類の本は本棚に飾っておいて手持ち無沙汰のときに引っ張り出して部分的に眺めるほうが合っているようで、一気読みはちょっと無理だった。

そういうわけなので一家に一冊の価値はある。



倭国伝だが、隣国の記事を載せている。

ここが秀逸。正史に描かれた日本が真実を示しているかはともかく、当時の中国人が認識した日本であることは事実なので、一方で他国をどう捉えたのかを知らなければ片手落ちだ。

また、この部分の記事が滅法おもしろい。



礼をするときに高句麗人は片足を後ろに引く

へえ。西洋の貴婦人のお辞儀みたいな感じかしら。でも、現在の半島の人はしないね。近頃、高句麗が中国の王朝か朝鮮の王朝かで揉めているようだけど、この風習だけを取り上げてみれば、高句麗と朝鮮に連続性はないようだ(すこし意地悪な言い方だね)。


一方、倭人は目上の人に対して拍手をした

へえ。私はしない。でも、する。これはたぶん柏手のことを指しているのだ。二礼二拍なんとか。神社の賽銭箱の前で年に何度か手を打つなあ。いまでは神様にしかしないが、むかしは道端で偉い人と出会うたびにしていた。倭人と私たちは繋がっている。


英雄がどうとか十万の軍勢とか威風堂々の城だとか、そういう歴史も楽しいが、今と昔は何が違って何が同じなのかを想像するのは、もっと楽しい。



繰り返し書いてあるのは、使者が来たけど非礼だから追い返した/こいつら船舶数の約束を守らへん/返礼品を沢山欲しがるけどいい加減にしとけよ蛮人め、ばかりでなんだか微笑ましい。なんでも欲しがる日本ちゃんは、いつだってルール無用で自分勝手なのだ。