かく語りき

今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

伊兼源太郎『外道たちの餞別』を読む

とてもサービス精神の旺盛な作家だね。

外道たちの餞別 (角川書店単行本)

外道たちの餞別 (角川書店単行本)


最愛の友人をヤクザに暴行されたふたりの大学生が、闇に堕ちる覚悟を決め、仇討を誓う。

そんな復讐劇が

死の匂いを嗅ぎ分ける「嗅家」と近未来を覗くことのできる「視家」、ふたつの家系が存在した。

とファンタジーに展開してしまう驚き。


欲張りぶりが半端ない。これを統一感のあるトーンで仕上げるんだからすごい。作品から溢れ出る独特さも相当なもので、読み手を選ぶ作家のように感じた。学生時代に出会っていたら嵌ったかもしれない。組み合わせの奇抜さに目を奪われ最後まで楽しく読めた。



ところで話は逸れて。

人のあるべき姿にはいくつかの型があって、人物を描く小説では、その中のどれかに当てはめることになっている。仁義礼智信が有名で三綱五徳とかどこかで習った記憶がある。この作品の場合はおそらく「俠」に主眼を置いている。俠は、強きを挫いて弱きを助ける姿勢を言う。


で、常々思うのだが、小説でこれを表現するのはかなりたいへんだ。難易度が高い。手を出すな危険のラミネートを掲げたいくらいむずかしい。忠や孝の成功例は多いが、俠はあまり見ない。

なんで?

わからない。が、結局のところ、私たち日本人とって馴染みの無い魅力なのだと思う。


俠の字を眺めて直ちに任侠団体を思い浮かべるあたり、やはり馴染みが無い。「強きを挫き」は「権力や法に背いてでも」であるから、その筋の方々も当てはまらなくはないけれど。字から連想するものが限られる程度の文化しか育たなかったと言えるし、強きを挫く必要がない社会だったとも言える。良し悪しは無い。一方で、本家本元の大陸では昔から大人気の型だった。

まあ、大陸は傍においておくとして。


小説だと難易度が高く、クドくてクサくなりがちな「俠」は、漫画だと違和感なくスッと受け入れられるんだよね。ここら辺はほんと不思議。小説と漫画。どちらも御伽話だけれど、なにかがちがう。

なにがちがうんだろうね。