かく語りき

今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

金曜深夜零時に駅前で

金曜の深夜

職場の壮行会を終えて自宅の最寄り駅に降り立った私は、普段と異なる景色に驚いた。


タクシー待ちの行列が消えている。

いつもなら誇張では無く百人は並んでいるはずの駅前ロータリーに、今は誇張では無く唯の一人すら居ない。ああ、例の騒動は私たちの生活様式を変えてしまったのか、と感じた。そして、責任も関心も持たない鈍い私は、次のように無責任で無関心な事を考えた。



繁華街で同僚や友人と楽しんでいた誰かは、自宅で両親や妻か夫と楽しむことになったわけだが、それで何が悪いのかと思う。あれだけお付き合いの飲み会を憎んでいたではないか。家族と居る時間の大切さを他人様に説教していたのは、君だ(私かな)。やっと機会が来た。今がその時だ。


かと言って、それでは繁華街で生活していた誰かが生活を続けられなくなる。ここが問題だ。街で余暇を過ごせなくなった連中の愚痴など相手にしなくてもよい。どうだろうとお好きにやれるさ。勝手にしたまえ。自粛も奔放も君次第だ。政治に責任を求めるのも自由だ。


街に寄りかからねば過ごせない人がいる。形態は様々だが、中でも個人事業主や零細の括りに属する方々は、体力が続かないのではなかろうか。自粛とやらに悪を求めるのなら、これだ。内に篭れる者はいいが、篭れない者が爪弾きにされる。夏の五輪までの辛抱? 難しいと思う。おそらく耐えられない。人は強いからそれでも耐えるのだろうが、何処かで何かが爆発する。

そこで、どなたか賢い方にお願いしたいのだが、私が小銭を投げたら、それが焼鳥屋の店長か蕎麦屋の爺さんか風俗嬢の顔に当たる仕組みを構築してもらえないだろうか。私は投げるから。今の私には何処に投げてよいのかわからない。買って応援!食って応援!しか無いのか。近寄るつもりはないけれど私の視界から消えないでほしい人を、どうしたら応援できるのか。賢い人はシステムを産み出せるのだろう?

もちろん、行政の支援も存在する。だが、あれはまた別の性格だ。悪く言うつもりは無いが、行政に寄りかかれるのは、行政に頼る知恵と器用さと清潔さを備える人だけである。



当の本人はこれを読んでいい顔をしないだろうが、大昔から、繁華街で暮らす人々は社会の安全弁になっているところがあって、社会の圧力が高まると放出されてしまう。ただ、そこを議論しても解を得られない。圧力変動を緩和する機構が無ければ社会が成り立たないのは自明である。誰かがアンロード回路を流れるしかない。

弱者の為に、とは少し異なる。彼らが居なくなれば、次は私とあなたが安全弁の役割を担わされるのだ。大多数が「自分の身は自分で守る」を志すと碌な事にならないのを私たちは経験で知っている。自力救済ほど怖いものはない。


みんな、たまには街に出ようぜ。

にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ
よろしければポチりと。
いつも励みになっております。