かく語りき

今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

いろいろつくろう!

近ごろ私のスマホに収められた写真たち


◆ゼリーをつくろう!

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次男坊とゼリーを楽しくつくれ。

ゼラチンの素と果汁100%ジュースを買いに行く。さらに、これだけのためにわざわざ容器を買う。納得しがたい。が、冷凍庫の製氷器を使おうとしたら妻が怒ったのでこうなった。ったく。ありあわせでなんとかする行為を、人は工夫と呼ぶのではないのかね?


◆水餃子をつくろう!

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長男と水餃子を楽しくつくれ。

これはうまかった。私がやりがちな「どうせだから白菜と長ネギとえのき茸も入れようぜ」をしなかったのが勝因。余計なことをするなと長男に釘を刺されたのだ。


◆こいつもつくろう!

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家族でこいつを楽しくつくれ。

「チーズタッカルビもできるよ!」とパッケージに書いてある。ということは、チーズタッカルビ以外のタッカルビも世の中には存在するってことか。

辛い。口に入れられないほどではないけれど、辛い。家族で楽しくホットプレートをつっつくには刺激が強い。もうすこしマイルドにしてくれてもいい。


◆おしまいにきのうの昼ごはん

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なにもつくってないが。

在宅勤務で終日部屋に篭っているのだから、飯はこれくらいがちょうどいい。

連休はなにか大掛かりなものをつくってみたい。

いまはもう、いない

四月に亡くなったとネットで知った。

誰にでも、若い頃にハマったものの今はもう関心が失せたとか、好きなことに変わりはないけれど新刊を手に取るほどでも、という位置付けの作家がいるにちがいない一方で、それでもこいつだけは別よ、的なごひいきがいるのではなかろうか。

私にとってのそれは高島翁である。


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そうか。もういないのか

と思い、図書館で手当たり次第借りてきた。いくつかは私の本棚にあるはずだが覚えていない。どれが既読でどれが未読かも忘れた。でもまあいい。とりあえず、文字どおりに手当たり次第借りてきた。帰省がお流れになった退屈な連休は、これらを読んで過ごそうか。

合掌

『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』を読む

内容はおおよそ題名のとおり。

「三世代同居で、子や孫に囲まれ、茶などすすって隠居暮らしをする老人」という、現代人の思い描きがちな老人像とはほど遠い姿が、そこにあることがわかります。

昔話の時代において、老人とは何歳以上の者を指すのか。老人の地位と扱われようはどうか。老人と性、他について。


かつての日本には、老人なんて単に長生きしただけの人でしょ?と見做す文化があったらしい。

現代の日本人である私たちは、祖先崇拝と年功序列と親孝行と肉親の情と弱者への配慮をごちゃ混ぜにしたものを「敬老」と呼んでいる。儒教文化とひとくくりにされることが多いが、乱暴だと思う。そして、それらのうち、新しい文化や作られた伝統と考えられるものを剥がしていくと、「昔話の主人公は爺さん婆さん」になる(と理解した)。


良いお爺さんと悪いお爺さんは共生できないという昔話の世界の世知辛さ、競争原理の厳しさ

言われてみれば確かに。親切な爺さんが勝手に花を咲かせて勝手に幸せになりゃいいのであって、意地悪な爺さんまで巻き込む必要はない。

でもまあ、説話は説話だからね。
やっちゃいけないことをやったらどうなるかを示さないと、人は話を聞かないし学ばない。


しかも「鬼婆」ということばはありますが、「鬼爺」ということばはありません。

老人差別に女性差別が加わった結果

と書いてある。でも、そのままうなづけない。女性差別はあったろうが、鬼婆はちがう事情じゃないかな。

鬼婆は、青年を襲う鬼が実は母だった話が多いらしく、また姥捨山は息子が母を山に捨てる話が多い。息子(と嫁)対老母の物語だ。では、そのとき老父は何をしていたのか。

要するに、女のほうが寿命が長いから、もしくは爺さんは別の理由で既に家庭から退場させられているから、婆さんが標的になっているだけだと思うのだがどうだろうか。


この本には、老人についてと同じくらいの熱量で女について書いてある。母系制から父系制への変革期における女の役割の話がとてもおもしろい。

出来合いのピザの日

きょうは妻と次男坊が実家へ行ってしまって居ない。長男と留守番泊の日である。そして、長男の申し出により「晩飯に宅配ピザでも食べようよ!」「んだな!」となったのだが、夕方にはふたりして(やっぱめんどくせえな。また今度でいいじゃん)と、お流れになった。


爺さんは山へ柴刈りに。婆さんは川へ洗濯に。
私は近所のスーパーへ買い出しに。


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そして出来合いのピザを買った。

これの正しい呼び方を知らない。
「出来合いのピザ」で通じるだろうか。冷凍ピザではない。冷凍されていなかったから。インスタントピザや即席ピザでも通じそうだが、なんとなく、そうは呼ばない気がする。


この類のピザを買うのは初めてだったりする。
が、どういうものかは容易に想像できる。きっと、十分においしいんだけど何かが決定的に足りないんだなあ…というような満足感を与えてくれるはずだ(決めつけ)。

よって、冷蔵庫にあったピザ用チーズとブロッコリーを加えてみた。もちろんうまい。追いチーズは裏切らない。ブロッコリーはもっと裏切らない。イタリアっぽい料理には例外なくブロッコリーが合う。あと、昼飯に使って余ったツナ缶も加えた。でも、残念ながらこちらは失敗だ。うまいのだけれど、味がツナ一色になってしまっておもしろくない。ツナ缶はとても便利でお手軽だが、味が勝ち過ぎていけない。


二百円前後でこれだけ楽しめるのだから、文句のつけようがない。おいしいパン屋のピザトーストよりもピザらしいし、ピザ特有のワクワク感も十分だ。また今度食べたい。

読書日記

二冊の本を読んだ。

どちらも、独りよがり自分勝手にたくさん思うことがあるのだが、どうにもこうにも整理できないので、あっさり済ますことにする。


朝鮮が西洋とどう向き合ったか。

当たり前のことだけれど、いつの時代もどこの世にも賢い人はいて、かつ、賢い人がいたことは割としっかり記録されている。もちろん、朝鮮半島にもいた。しかしながら、彼の国ではおおよその物事が政治の道具にされてしまうようで、賢い人の賢い考えは本質から外れたところでエネルギーを失う。

もうすこし打算的な解決ができないのかなあ、と思わないでもないが、私は向こうの人ではないから良否については述べない。私の問題ではないので言わない。


冷たい檻 (中公文庫)

冷たい檻 (中公文庫)

前半は満点。

後半まで読み進めて、(あれれ、前振りの量と残り頁数がつりあわないような?)と気がついた。けっきょくお終いまでつりあわなかった。

ところが、よくいう伏線を回収しない(伏線と前振りのちがいはともかくとして)、投げっぱなしジャーマン小説に対して猛烈に腹を立てる傾向にある私にしては、どういうわけだかケチをつける気にはならなかった。

なぜか。

きっと、私が複数人称の小説が好きだからだ。
「やがて物語は一点に収束する」はずの物語がぜーんぜん収束しなくても許す。要するに、好きなものは好きなのである。

これはそういう小説だ。

いちご狩り@神戸

いちご畑は、住所でいえば神戸なんだけどふつうそこを神戸とは呼ばないよね、という場所にあった。


◆いちごはかわいい
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いちご畑で応対してくれたのは、いちご農家のおじさんと彼のご子息だった。私たち家族しかいないせいか、小僧さんがつきっきりで私たちの面倒を見てくれた。


小僧さんは、とても明るく、元気がよく、物怖じをしない明朗快活な少年だ。カンタとかカンキチなんて名前が似合いそうな小学生である。快活さでは負けるが物怖じの無さなら勝るとも劣らない我が家の長男は、すぐに打ち解けていた。ふたりで一緒にビニールハウスの中に入って、「このいちごはどうだ、あっちはどうだ、つーかお前何年だ」と仲良くやっていた。

次男坊も小僧さんを気に入ったらしい。
車から『鉄おも』を取り出して、一緒に読もう!と誘っていた。ちびうさとかうさおとか、神鉄とか223系とか、幼児にだって分かち合いたいことがあるのだ。

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◆よくこんなに食べるねえ…
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ビニールハウスでもぎ取って屋外の机で頂戴する。


写真は妻の最初の分。
3、4回往復していたから、数十粒は食ったはずだ。

このあたりにも性格があらわれるもので、妻は一度に大量に盛るタイプで、長男は三粒くらいに抑えて何度も往復するタイプ。いちごに興味がない私は「試しに熟してない青いのも食ってみようぜ」とけしかけるだけ。


家族が夢中になって食べている間、食べない私は退屈だ。小僧さんもその間は居心地が悪そうだった。よって話かけた。

「ボクは○○小?」
と私。カーナビに打ち込んだ地名を言う。
「ちがうよ。△△小」
と小僧さんが言う。ちぇっ、ハズレか。

そういう流れで、学童がどうとか、最近流行っているものがどうとか、いろいろ話してくれたのだが、普段から人の話を聞かない私はまるで聞いていなくて、小僧さんが喋る間、(お父さんは関西弁丸出しなのに君は標準語だね、どうしてだろう?)などと考えていた。息子ふたりが関西弁なのに父親が関東弁丸出しの我が家と似たような事情があるのだろうか。


このようにして、いちご畑を満喫した。

弱虫房総

最近の長男は弱虫ペダルというアニメに夢中だ。

私はタイトルすら聞いたことがなかったが、妻は知っていた。「漫画が70冊くらいあったはずやで」と教えてくれた。左様か。では有名なのだろうね。でも私は知らない。アンテナが低い。

そういうアニメを長男のうしろで酒を飲みながら断片的に眺めている程度なので、感想は特に無い。あえていえば、(この人たち、チャリ漕ぎながら器用におしゃべりするなあ…)と感心するくらい。


一方、首を傾げてしまったのが、『総北高校』という作中舞台である。千葉県にあるらしい。

千葉のことはよく知らないが、総北という名称は通用するのかな。下総の北で総北か。下総の北半分は茨城だからこれはあり得ない。では上総の北か。上総をさらに分けることなんてあるのかしらん。まあいいや。総北は、たぶん柏とか手賀沼あたりを指しているのだろう。


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上総下総はもともと総(フサ)の国という。

フサが何かは知らない。千葉は東日本の中では際立っておだやかな気候だから、その辺が名前の由来に関係していると予想した。ところで、房総の房もフサと読む。房総はフサフサである。半分冗談で半分本気。いまに言うフサフサと語源は同じだと思う。生い茂った様子やたくさん実をつける様子を好意的に表現したのが「フサ」なのだ。きっと。

そういえば、むかしは布のことを「ヌサ」と言った。麻は「アサ」と読む。どちらも繊維。あと、稲の古名は「サ」だったような。そして、いまこれを書いていて気づいたのだが、草は「クサ」だ。


総・房・布・麻・稲・草
フサ・フサ・ヌサ・アサ・サ・クサ

「サ」は植物を指す言葉なのかもしれない。弱虫ペダルは私たちにそう教えてくれるのである。