天才少年(少女)はたしかに存在する。
というお話。
長男は公文に通っていて、昨晩、賞状を見せてくれた。なんでも、公文には年に一度の達成度確認テストのような行事があるらしく、それに合格したのだと言う。
やるじゃんか。すごいじゃん。がんばったね。
精いっぱい褒めた。
誉めよ讃えよ、である。実際に頭を撫でて大袈裟に褒めた。褒められて気分を害する人間なんていやしない。褒めておいて損はない。
賞状の裏には達成レベル段階表が載っていた。
受験した小学五年生4万人の分布がわかる表で、「10まで数えられるよ!」からはじまって、「50までなら」「数を読める」と順にレベルアップしている。
長男の達成度は「分数の計算」である。
そのランクには九割程度の人数がいるから、小学五年生相当なのだろう。つまり、うちの子は可もなく不可もなくといったところである。しかしながら不思議なことに、それよりやさしいランクには数値が書きこまれていなくて、つい(ふうん…、あ、そう)と邪推してしまった。なんだか、作為の匂いがしないでもない。だって、「授業についていけなくて公文に通いはじめて、ようやく四年生のお勉強が出来るようになったんだ!」という周回遅れの五年生がいてもおかしくない。よね?
けどまあ、知ったこっちゃない。
いないものはいない。だからいないのだ。
「分数の計算」に当てはまらない残りの一割は、もっとむずかしい達成度に分布している。天才はもちろんそこに潜んでいる。
最上位ランク(の次行)に埋められた「1」
40,000の1。同い歳の頂点。
達成度は「線形代数」
ぶったまげて声が出た。
長男に至っては、それ何て読むの?である。「せんけえだいすう、だよ。君が大学にいこうとしたら勉強することになるんじゃないかな」と答えた。すると、お父さんは出来るの?ときた。この糞ガキが。余計なことを訊くんじゃねえよ。であるのだが、父親の威厳を以て(見栄を張って)、「昔は出来たよ。お父さんは小さい頃から算数と理科が好きだったから。習ったし。もう忘れちゃったけどね」と答えた。
それにしてもすごい。
世の中には、ユークリッド空間とか言っちゃう小学五年生がたしかに存在して、代数とか幾何とかが身近にある小僧がいちゃうらしい。まるで、ラノベもどきの推理小説にありがちな天才少女のよう。ほんとうにいるんだね、こういう人って。
由緒正しき凡人である私は、予習よりも復習だと思うし、ずば抜けるよりも半歩前でいいと思うし、私が為さなかったことを息子に為させるつもりはないから、長男にそう成れとは言わない。五年生は五年生らしくあってくれたらよい。でもすごいね。彼は別世界の人だ。
ちなみに。
うちの四歳児はやさしい方からみっつめが怪しくて、数字を読めるけど二桁の数だとしょっちゅうまちがえる。72は「にとななで、にじゅうなな?」になる。何度正しても直らない。字を右から左に眺める癖があるのか、あるいは視覚的に右の方の印象が強いのか。
文字教育を受けてない次男坊がそうなるってことは、なんとなくだけど、人間の根本の性質なんじゃないかなあという気がする。
「人は先ず、右を認識するのだ」
なんてね。