かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

石川九楊『漢字とアジア』読了

漢字とアジア (ちくま文庫)

漢字とアジア (ちくま文庫)

九楊さんか。珍しいお名前だね。本名ではあるまいよ。坊さんの戒名でもなさそうだ。じゃあ、どっかの家元さんかな。ん、ちがうのか。ああ、書道家ね。なーる。

で。お買い上げ。


◆これを音で聴くの?

大学の講義録を整理したものらしい。
素朴な疑問だが、この内容で講義が成立するのだろうか。漢字は目で眺めるものであって耳で聴くには向いてないように思うのだけど。

レイショ・チョスイリョウ・ガントウショウキョウジョ・トウエンメイ。受講生のみなさんは即座に理解できるのかしら。私は無理だね。基礎がないもん。漢字変換に忙しくて講義が頭に入ってきそうにない。

隷書・褚遂良・雁塔聖教序・陶淵明
漢字なら一目瞭然。


それはさておき。



書道家が語る歴史

書体ってのは歴史的な理由があって移り変わったんですよ、ということが述べられている。この部分はとてもおもしろい。出会えてよかった。

然れども。
漢字とアジアのお題の割には漢字成分が薄めで、書道家の著作にしては書道史の配分が少なめだ。筆者の政治観もチラチラ。なんかモヤモヤするなあ。ってのが正直な感想。中国周辺史の本として読めば、よく出来た本だと思う(何様だおまえは)。

ついでながら。
書店で本書をパラパラめくったときに朝鮮に関する章が立てられているのを知って購入に至ったわけだが、この動機から言うと見込み違いだった。残念ながら。



◆ハングル

これはハングルには「筆記体がない」ということでもあります。
日本には平仮名と片仮名がありますが、平仮名には筆記体があり、片仮名には筆記体がありません。


あ、やっぱないんだ。

ずっと気になってたんだよね。
ハングルに筆記体が存在しない点は見逃せないと思うのだがどうだろう。崩し字が無いってことは、いささか乱暴だけれども、崩さずに済む用途でしか使われなかったと言えるし、崩す必要のない階層でしか普及しなかったとも言える。要するにこなれていないのだと思う。(優劣の話ではないですよ。そういう話では断じてないです)


あと、片仮名には筆記体が無いんだそうな。

たしかにそうだ。でもどうしてかな。気になるね。じゃあ考えよう。想像しよう。妄想は自由。とても楽しい。ただし答え合わせは有償だ。買って、読んで、確かめて、知ったら、もっと楽しい。


そういうわけで、せっかく漢字とアジアの看板を掲げて朝鮮やベトナム琉球にかなりの紙面を割いているのだから、彼の国における漢字の受容、独自文字の成り立ちについて書いてあればよかったのにと思った次第である。