かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

岡田英弘『歴史とはなにか』を読む(最良の本)

あまり本を読まない私が言っても何の価値もないのだが、ここ数年のあいだに目を通した中で最良の本。


歴史とはなにか (文春新書)

歴史とはなにか (文春新書)


◆歴史とはなにか

とはなにか。

大概において知識も努力も苦労も持ち合わせていない私だって、たまに「△△ってのは要するにね」などと知ったふうに言う。でも、その前後には必ず「おれにとってはな」の但し書きが付く。

本書にこの逃げ文句は無い。
相当な知識と努力と苦労を積み重ねた自信が無ければ、とてもじゃないが「おれにとっては」抜きで「とはなにか」を語る勇気なんて出ない。

本書は、歴史とはなにかと真正面で向き合っている。



◆どこまでが歴史か

歴史だとややこしいので時間の流れで。

いつまでが「いま」なのか。
いつから「むかし」か?

これは主観で語ってよい問題だ。
とはいってもある程度の共通認識は存在するもので、たとえば、数年前の事件を「むかしむかし」で語ってはいけないことになっている。絶対に叱られる。事件を風化するな、だ。


では、境界はどの時点にあるのか。

答えは、私の記憶に残る過去が私の「いま」で、あなたの物心つく前があなたの「むかし」である。数年前に起きた悲惨な事件だって、幼児にとっては「むかし」の扱いでよい。

人が産まれて「いま」と「むかし」が分かれると著者は述べている。



話のレベルが一気に落ちるが、実際に感じる私の今昔の基準は次のようになると思う。

私にとって、白黒写真に映ったものが「むかし」の人であり出来事である。たとえ写真の赤子が目の前にいる当人の数十年前の姿であろうと、むかしの人だ。生死は関係ない。その写真を見なかったのなら、彼はいまの人である。老父も三島由紀夫徳川慶喜もむかしの人に含まれる。たぶん、私が産まれたときに無かったものを見ることで、無意識にいまじゃないと判断しているのだろう。

「むかし」をさらに分割するのなら、限界は写真と映像に映ったか否かだ。それより前、絵で見た人は「おおむかし」の人かな。大石内蔵助とマンモスを狩る人は同じ領域に居る。


あなたにもあなたの考える「むかし」がきっとあることでしょう。

まあ、それはともかく。



◆歴史とはどういうものか

このように人それぞれに異なる過去を、歴史家が彼個人の責任と社会の要求に基づいて文字にしたものが現在に残る歴史であると著者は言う(単純化してます。正しくはそんなこと言ってません)。だから、歴史の共有はむずかしいとも言っている。

至言だよこれは。歴史がどのような性質のものであるかがよくわかる。隣国との歴史認識のちがいで頭を悩ませ心を痛める方には、一読の価値があると思う。



さて、歴史歴史うるさいわけだが、これは歴史のお勉強が嫌いだった人にこそ、お薦めしたい本だ。知識や薀蓄は必要ない。この著者は大局観がすごくて、枝葉で歴史を語らない。だから、私にだってひととおり読めた。

読んでも偏差値は微塵も上がらないけどね。

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