かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』読了

再読。

本が好き、悪口言うのはもっと好き (ちくま文庫)

本が好き、悪口言うのはもっと好き (ちくま文庫)

大昔に図書館で借りたか、あるいは購入したか、定かではないけれど、たぶん再読か再再読か再再再読。私は物覚えが悪い上に引越のたびに本を処分してしまう癖があるので、既読かどうか自分でもわからなくなることが多々ある。


此度は、以下に示す理由によりお買い上げと相成った。
・同じ本を繰り返し読むのが嫌じゃない。
・遠くない将来に入手困難となりそうな予感が。
・思うところがあって自宅の書棚を充実させたい。


私は、熱心な高島俊男信奉者なので(既読か覚えていないくせにどの口が言うのか)、この人の書いたことなら諸手を挙げてなんでも受け入れる。


いったい、「囲碁ファン」なんて言葉があるものだろうか。また、そういう人間がいるものだろうか。

そもそも「ファン」とは何か。「ファン」とは、自分がそれではなく、あるいはそれをするものではないが、それが大好きである、という人間のことである。

ここでは、テレビ囲碁で司会者が述べる定形の挨拶「囲碁ファンの皆さま、こんにちは」に腹を立てている。おいおい、そこに噛みつくのかよ…である。私にも些細な言葉遣いが気に入らないときがあるが、ここまで筋金入りではない。

でも、言われてみればごもっとも。
「自分がそれではない例」(=正しい「ファン」の用例)として、貴花田ファン、村上春樹ファンなどを挙げる一方で、「自分がそれをする者」として、高校球児のことを野球ファンとは決して呼ばないでしょ、というわけだ。

その理屈で、碁を打てないのにテレビ囲碁を観戦する人などいるはずがないのだから、「囲碁ファンの皆さま」という呼びかけはおかしいと憤慨している。

ほんとうにおもしろい爺さんだよね。だけど筋が通っているから憎めないのよ。



「中国文化のほうがすぐれていたから漢字を取り入れたんじゃないの?」

「中国文化と日本文化は誕生の時期がちがう。文化も人間と同じことで、早く生まれたほうが早く大きくなるのは当然だ。しかし早く生まれたほうが偉いわけではない。もし漢語と漢字が入って来なかったら、日本語は健全に成熟して、やがて日本語の生理に合った表記体系を生み出していただろう。」

とても良いことを言ってくださいました。

たまにね、歴史の古さや現存する文物の派手さで国や地域の優劣をつけたがる人がいるのだけれども、そんなのは絶対に間違っていると思うんです。人の歩みには、距離の長短と緩急はあれども優劣はないのですよ。歴史は偉い偉くないを計る物差しじゃない。


現在、字音語は日本語語彙総数の約半数を占める。語彙の半分が、文字に寄りかからなければひとりだちできない。これが日本語の宿命的な欠陥である。
日本語は、外来語(音読み)が入ってくるのが早すぎたせいで、外来字(漢字)がなければ意味の通じない言語になってしまった。たとえば、「ちょう」の音は、長・懲・調・挑・謀など、字の裏付け無しには意味を持たず、自立できない。と言っている。

では、日本語が成熟するまで漢字が入ってこなかったとしたら、独自の文字がつくられていたら、どうなっていた?

さっぱりわからないが、それでもやはり独自の表記体系とやらは漢字に駆逐され音読みが幅をきかせる世界になっていたと思う。仏教を輸入する以上、漢字の呪縛からは逃れられないはず。きっと、現代文と古文の連続性が薄まってヒエログリフ化したんじゃないかなあ。

想像するのが楽しい。妄想は自由だ。



もうね、読めるだけで幸せ。
そんなお気に入りの作家です。

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