かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

昨日のラン/『門真』って読めますか?

日曜日のラン記録。
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用事があって30分しか走れなかった。ラン前から30分だけと決めていたのに、この体たらくである。のんびりジョグのつもりは無かったんだけど…。
序盤に長い坂道を登ったことを考慮しても遅い。そしてしんどい。下り坂でもスピードが上がらない。身体が重いのは承知の上だが、呼吸がつらいのはどうしてだろう。どこに去ってしまったんだ、もう少しあったはずのおれの心肺は。



門真。
京阪沿線の街。松下の企業城下町


きのう家族で外出した際、高速道路の行先表示をみて長男が「もんさな」と言った。もんさな?何だそれは。
訊いてみると「門」はすでに学校で習った漢字で「真」は真田の「さな」だと教えてくれた。なるほど。正しくないが間違っていない。それで良い。うちの子はかしこい。


歴史好きの長男だが、「真田」「豊臣」「伊達」など歴史で使われる漢字の大半は習っていない。にもかかわらず、ちゃんとわかっている。一体、どうやって認識しているのだろう?

大人における「読めるけど書けない漢字」と似たものだろうか。おそらく違う。大人であれば偏や旁、前後の文字で推測することができるが、子どもにはそれができない。

「模様」として理解しているのだろうか。おれは、西アジアあたりのうねうね文字を目にすると、全部同じに思えて眺めることすら嫌気が差すが、子どもは知らない漢字に対してそのような扱いをしないらしい。

…と書いて思い出したが、長男が将棋を覚えたとき、彼は「王」と「金」を除くすべての漢字が読めなかったはずだ。それでも駒の動かし方を覚え対局を楽しんでいた。大人にはできない芸当だ。


2歳児の次男は、インクで紙に書かれた模様が記号であると理解している。絵と文字をしっかり区別している。絵本の文章を指差して読めと強要してくることから、それがわかる。紙に書かれた模様が汚れではなく意味のあるもので、大人はそれをもとに絵本を読んでくれることを知っているのだ。


不思議だ。「絵本を読む」行為の解釈は、他にもあると思うのだが。

たとえば、絵に文字のような機能が含まれていて、それを読み取っていると考えたり。
あるいは、読むなんて行為は存在せず、毎回アドリブで言葉を発していると考えてもいい。
でも、そうじゃない。読む=文字を目で追って声に出す事と理解している。
不思議だ。どうやって学んだのだろう。



子どもと一緒にいると様々なことに驚かされるのだけれど、文字との接し方は、その最たる例である。

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