かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

トマトスパゲティをつくろうか

きょうは何をつくろうか。

長男に訊ねた。ポトフがいいと彼は答えた。台所を漁る。ポトフ鍋のスープは備蓄してある。冷蔵庫には鍋に合う野菜が色々あった。けれども肉が無い。仕方がないので肉無し鍋の是非を問う。駄目だと言う。じゃあ別の何かにしよう。私につくれる肉無しの何か。


スパゲティしか思いつかなかった。
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パスタ動画をたくさん見たのでつくり方はなんとなくわかる。ただし、それらは外苑前のオーナーシェフやら本場イタリアで修行した料理人やらによる上品なパスタで、にんにくと唐辛子だけのペペロンチーノとか、玉ねぎとトマト缶だけのトマトスパとか、豚と卵黄だけのカルボナーラとかなわけで、要するにどれもこれも具が少ない。


でもまあつくってみようか。

けれどもだ。そんな塩と脂しか入ってなさそうなスパゲティでは栄養が足りないように思える。私はかまわないが小児はそうもいかない。彼は栄養第一だ。一皿ですべてをカバーしようとするのが間違いなのはわかっていても、当方にも事情がある。何皿も用意できない(面倒と腕前の事情で)。


よって、田舎煮というかごった煮が出来上がる。
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スパゲティ用の湯でキャベツをシナシナに茹で、ブロッコリーは歯応えを損なわない程度に湯にくぐらせる。エリンギは…湯通し不要かな。カットトマトと一緒に煮込めば十分だろう。


うまい。
長男もそう言ってくれた。独身時代につくったスパゲティと比べたらだいぶ成長した。とは言っても私が何かをしたわけでなく、単にカットトマト缶が優秀なだけである。もうすこし水を足したらミネストローネを名乗れそうなくらい立派な味がする。うん。これはうまい。来週もつくろう。


ただ、やはり私はにんにくが駄目らしい。

今回はチューブのにんにくを2センチほど使った。二人前だから1センチ/人。普段食べないので適量を知らないが、さほど多くないと思う。ラーメンににんにくを加える人はもっとドバドバやっちゃってるし。食べたらおいしい。でも食後が耐えられない。

次はにんにく減にしようかな。

天才少年

天才少年(少女)はたしかに存在する。

というお話。


長男は公文に通っていて、昨晩、賞状を見せてくれた。なんでも、公文には年に一度の達成度確認テストのような行事があるらしく、それに合格したのだと言う。

やるじゃんか。すごいじゃん。がんばったね。

精いっぱい褒めた。
誉めよ讃えよ、である。実際に頭を撫でて大袈裟に褒めた。褒められて気分を害する人間なんていやしない。褒めておいて損はない。


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賞状の裏には達成レベル段階表が載っていた。

受験した小学五年生4万人の分布がわかる表で、「10まで数えられるよ!」からはじまって、「50までなら」「数を読める」と順にレベルアップしている。


長男の達成度は「分数の計算」である。

そのランクには九割程度の人数がいるから、小学五年生相当なのだろう。つまり、うちの子は可もなく不可もなくといったところである。しかしながら不思議なことに、それよりやさしいランクには数値が書きこまれていなくて、つい(ふうん…、あ、そう)と邪推してしまった。なんだか、作為の匂いがしないでもない。だって、「授業についていけなくて公文に通いはじめて、ようやく四年生のお勉強が出来るようになったんだ!」という周回遅れの五年生がいてもおかしくない。よね?

けどまあ、知ったこっちゃない。
いないものはいない。だからいないのだ。



「分数の計算」に当てはまらない残りの一割は、もっとむずかしい達成度に分布している。天才はもちろんそこに潜んでいる。


最上位ランク(の次行)に埋められた「1」
40,000の1。同い歳の頂点。


達成度は「線形代数

ぶったまげて声が出た。
長男に至っては、それ何て読むの?である。「せんけえだいすう、だよ。君が大学にいこうとしたら勉強することになるんじゃないかな」と答えた。すると、お父さんは出来るの?ときた。この糞ガキが。余計なことを訊くんじゃねえよ。であるのだが、父親の威厳を以て(見栄を張って)、「昔は出来たよ。お父さんは小さい頃から算数と理科が好きだったから。習ったし。もう忘れちゃったけどね」と答えた。


それにしてもすごい。

世の中には、ユークリッド空間とか言っちゃう小学五年生がたしかに存在して、代数とか幾何とかが身近にある小僧がいちゃうらしい。まるで、ラノベもどきの推理小説にありがちな天才少女のよう。ほんとうにいるんだね、こういう人って。


由緒正しき凡人である私は、予習よりも復習だと思うし、ずば抜けるよりも半歩前でいいと思うし、私が為さなかったことを息子に為させるつもりはないから、長男にそう成れとは言わない。五年生は五年生らしくあってくれたらよい。でもすごいね。彼は別世界の人だ。



ちなみに。

うちの四歳児はやさしい方からみっつめが怪しくて、数字を読めるけど二桁の数だとしょっちゅうまちがえる。72は「にとななで、にじゅうなな?」になる。何度正しても直らない。字を右から左に眺める癖があるのか、あるいは視覚的に右の方の印象が強いのか。

文字教育を受けてない次男坊がそうなるってことは、なんとなくだけど、人間の根本の性質なんじゃないかなあという気がする。



「人は先ず、右を認識するのだ」


なんてね。

覚えてないけどたしかに食った寿司

週明けに出社すると同僚が寄ってきて、言った。

「はい、これ。金曜の分です。ごちそうさまでした。だいぶ酔ってましたけど、ちゃんと帰れました?」


なんだよ朝っぱらから。
帰れたに決まってんだろうが。

と答えて金を受け取ったものの、どこの支払いか記憶にない。二軒目までは確かに覚えている。支払いまでしっかり覚えている。けれどもこの金には覚えがない。だからこれはもっと先の話にちがいない。


そんな朝のやりとりがあって、昼休みに携帯をいじっていたら痕跡らしきものが残っていた。



◆これが『金曜の分』だろうか…
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冗談抜きで記憶にない。

(とは言っても、ちゃんと帰宅したからね。写真を撮る余裕があったってことはたいしてやらかしてないはずで云々)



◆これは私じゃないなあ。
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鳥貝(だと思う)。

明らかに私の趣味じゃない。私が注文したのであれば、写真には赤貝が収まっている。貝はなんでもうまいものだが、赤貝以外の貝を私が選ぶとは思えない(特に意味のない断定)。



◆ん、これは私だな。
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いきなり新香巻。

普段は他人の目を気にして締めで注文する。でも酔っ払って理性を失った私は真っ先に大好物を選んだんだろうな、きっと。



◆その後はこうなって。
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鰯!鰯!鰯!大好きな鰯!

以降の写真は無い。が、たぶんこれ以上食べてないと思う。いかにも、我を失って思いのままに食べたら私はこうなるんだろうなあって感じの選び方だ。


嗚呼。うまそうな寿司を食ったはずなんだけどな。記憶にないとはどういうことか。もったいないお化け

班田収授

通勤中は、新聞を読むかスマホの将棋ゲームで遊ぶかブログの記事を書いて過ごしていて、気が乗らなければウィキペディアの世話になる。


きょうは口分田について眺めた。

戸籍に基づいて6年に一回、口分田として6歳以上の男性へ2段(720歩=約24アール)、女性へはその3分の2(480歩=約16アール)が支給され、その収穫から徴税(租)が行われるとされていた。

そしてあれこれ考えた(退屈だからね)。


24アールの田んぼを貰えるようだ。
それがどれくらいの広さか知らないが、記事には周長720歩と書いてある。一歩50センチとすれば90m四方相当だ。一戸あたりだとその数倍の広さだろうか。


次に、その田んぼから得る米の量を考えた。

知る由もない。
けれども、現代の作付面積当たり収穫量なら調べればわかる。ほな調べてみっか、と思ったが止めた。籾高と玄米高で全然ちがうし、雑穀をどう考慮したらいいかわからないし、奈良時代の収穫高は現代に何掛けしてよいか見当つかない。仮定が多すぎて当てにならない。それでもまあ、答えはわかる。おそらく、90m四方の田んぼからは年貢分を差し引いた後に春を越すのにギリギリ足りないくらいの米が取れたのだろう。


今度は、90m四方について考えてみた。

これはデカい。
学校の校庭より広いのだからどう見てもデカい。その広さの田んぼで泥に脚をとられながら苗を植える姿を想像してみる。真面目にやろうとしたら、とんでもない重労働だ。無理なんじゃないかとすら思える(ひょっとして投げ植えだったのかしら?)。田植えが大変なら刈るのも大変だ。間違いなく地獄を見る。なんせ鉄農具の普及すらあやしい世界なのだから。


『農家の方々へ感謝の気持ちを込めて』

あまり好きな文句ではないけれど、こら確かに感謝せざるを得ないなあ、と思った。



班田収受。三世一身。墾田永年。
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人民公社コルホーズ

ご先祖さまの苦難のかけらを知るために、今年は一苗だけ育てている。

どうか台風で倒れませんように。

祈るしかない。

ポテトチーズデイ

最近の休日の夜は、妻は子どもたちを連れてホームバウンド。いってらっしゃーい。せいぜい実家で羽を伸ばしてくれたまえ。


さて。妻の所在はともかくとして私自身の夕飯が問題だ。料理実験のチャンスが到来した。

それではと冷蔵庫を開けて考える。いろいろある。が、面倒は避けたい。続いて食糧庫を開けてみる。乾燥ペンネがあった。お、いいじゃんか。と思えどもやはり面倒は避けたい。湯を張るのがすでにめんどくさい。不精道ここに極まれり。でも食べたい。きょうはイタリアチックなやつを食べたくなった。



よっしゃ。

きょうはチーズのカロリー爆弾だ。
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ご覧のとおりである。説明の必要は微塵もない。けど書かせてくれ。聞いてくれ。うまかったから。


まずはジャガイモ。

ラップで包んでレンジで2分。
食べ物の要点は食感にある。出汁や塩加減ではない。かどうかは存ぜぬが、私の選り好みの根本は歯応えにあって、柔らかいものが総じて苦手。ふやふやしなしなとろとろを受け付けない。なんていうか、病院食を連想してしまって駄目なのだ。ふやけるくらいなら半生のほうがマシ。だから2分。目指すは少々硬め。


レンジの後はもう仕上げ。

耐熱皿にオリーブオイルを塗って、いも、塩、ケチャップ、マヨ、黒胡椒、タマネギの順。これを二層積み重ねる。ところどころにウインナーを散りばめて。最後にスライスチーズを並べて粉チーズを振ったら出来上がり。あとはトースターで5分待て。


ところで。

料理の基礎を知らない私には、レンジとトースターのちがいがわからない。どっちも室内温度を上げて加熱してんじゃないの?え、ちがうの?ってくらいにわかってない。トースターに電熱線がついていることくらいはわかる。よって焦げ目をつけたければトースター、温めだけなら電子レンジ。そういう使い分け。この程度のレベルなので、前述の2分とか5分なんてのも当てずっぽうである。ひと口食べてみて駄目だったら追加で突っ込んだらいいじゃん。てな具合。


それにしてもおいしいなあ。

はじめての割には上手にできた。
ジャガイモとタマネギがしゃくしゃくしてちょうどいい。粉チーズも絶妙な焦げ具合。はっきりいって、居酒屋のよりおいしいよ。ブロッコリーを入れたらもっとうまいかもしれないね。


ごちそうさまでした。

幼児エヴァンゲリオン

もちろん

ああそうか。勿論と書くから、論をまたずの意味になるのか。漢字を見れば確かにそのとおりだ。えーとそれじゃあ、「勿」の字は他に何があったっけ。と、いうようなことを考えた(会議中に)。けれども「勿かれ」しか思いつかないので諦めてスマホをぽちったところ、もったいないがあった。勿体無い。うーん。二重否定? 実体が無いことも無い? こじつけたら惜しいの意味になるような。いやいやちがうな。そうじゃない。

当たり前に使う言葉だってのに
私は何もわかってない。


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次男坊はエヴァンゲリオンの歌に夢中だ。

毎日、勇ましく歌っている。
プラスチックの剣を振り回しながら歌う姿をよく見かける。どこで覚えたんだか。つーか、なんでいまエヴァなのか。長男は歌わないから別経路にちがいない。では保育園のお歌だろうか。ったく。むずかしいお歌を仕込まむなっての。


「お父さん。ざんどうってなに?」
それみろ。こうなるじゃないか。
残酷だね。みんなが嫌がることをする人だよ。

「まどねは?」
窓辺かな。窓でいいよ。いじわるな神様が窓からパタパタと飛んでいっちゃったんだ。
ふーん。そう言って次男坊は居間の窓を開けた。あ、お月さまや!大声をあげた。

「もろまーみる!」
ほとばしる。さて。どう訳そうか。幼児向けの言葉だとどう言えばいいのかしら。

ほとばしる
これは漢字に頼ってはいけないパターン。迸ると書くとさっぱりでも、ほと走ると書けばなんとなく察せられる。ホトが何か知らないけど。唯一浮かぶのは古事記によく出てくるアレ。火の棒を突っ込まれて絶命しちゃうやつ。でもアレはふつう走らない。じゃあ副詞か。ほーっと溢れ出た。のか?


「しんもにな〜れ!」
神話だね。そこは。

それにしてもむずかしい歌だなあ。
うんうん唸ってみたけれど、テーマが皆目見当つかない。情景も浮かばない。どうして少年は神話にならなきゃいけないのか。なんで? だいたい、次男坊はサビから先しか歌わないから前段を思い出せないし、滑舌はめちゃくちゃだし、そもそも私はエヴァンゲリオンのアニメを見たことがないし。主題歌とロボがおぼろげにわかる程度。だから探りようがない。どういう意味か問われても、正直困る。



幼児に言葉を説明しようとすると、自分の国語力の無さを思い知らされる。それではいかんと次男坊の問いかけに辛抱強く相手をするのだが、むずかしすぎて手に負えない。

こりゃ、生まれ変わっても幼稚園保育園の先生だけは無理っすね。

呼び捨てでいいじゃん。敬意があってこそだよ。

相変わらずのどうでもいい話。


信長さんという呼び方があって。

近頃、歴史上の偉人をさん付けで呼ぶ人が多くて、NHKの教養番組あたりだとけっこうな頻度で耳にする。他人様が他人様をどう呼ぼうと私の知ったこっちゃないのだが、それにしても、なんだかなあと思う。しっくりこない。
太閤さん、えべっさん、お稚児さん。何でも『さん付け』する文化が西にあるけれど、いまどきの信長さんはそれともちがうような気がする。


親近感のあらわれなのだろうね。

でも、かえって敬意を損ねている。
テレビの場合は、私たちと同じ人間である偉人がどう決断したかにスポットライトを当てるから演出上の理由でそのように扱う。けれども、特別な意思を込めないのなら呼び捨てでいい。当の戦国大名や文豪だって、貴様にさん付けで呼ばれる筋合いはない!と草葉の陰で怒鳴っているかもしれない。

呼び捨ては失礼ではなく敬意である。


そんな私の独りよがりを踏まえて以下本題。

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将棋棋士の呼び方が仰々しい。

例として藤井さん(ごめんなさい)。
藤井猛九段。藤井猛先生。だいたいこうだ。でも、どうして我々一般人がそんな呼び方をしなければいけないのかしら。


私はyoutubeの将棋動画をよく見るのだが、動画の人はみんな、棋士を段位か先生付きで呼ぶ。よーくわかる。元奨ならプロを無下にできないし、プロの功績にぶら下がって銭を稼いでいる部分も少なからずあるし、声が本人に届く可能性もあるから、そうなる。将棋を指すほどに棋士の凄さを知り、呼び方が丁寧になるのかもしれない。一方、ルールすらあやしい人が、あるいは自宅に将棋盤すら無い人が、棋士を段位で呼ぶ必要なんてあるのだろうか。そりゃまあ呼びたい人もいるだろう。もちろんいて良いが、皆が皆、そう呼ぶ風潮に納得できない。


藤井猛。ああ、あの鰻屋の?
呼び捨ての何がいけない。敬意の証だ。

藤井さん。ああ、あの解説が愉快な?
同時代に活躍する人を身近に感じるのはとても自然なことだよ。

九段?先生?
どうしてそんなによそよそしく扱うの?


そっちの方向に振りすぎたせいで、橋本八段か橋本先生か橋本さんかハッシーと呼ばれる人が「マジやべえ」と発言する状況に至ったんだと思うけどね、私は。