かく語りき

今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

読書日記

最近読んだ本をてきとうに。


看守の流儀

看守の流儀

刑務官小説にハズレ無し(断言)。


村上春樹のインタビューをまとめたもの。

時期が違えどインタビュアーが外国人だろうと受け答えは一貫していて変わらない。きっと、どの小説もテーマは同じなのだろう。アプローチが異なるだけで。

あと、文体に関して強いこだわりを持っているように感じた。でも語らないね。そこら辺に彼の美意識があるのかな。


日本古代史の読み方 456-785

日本古代史の読み方 456-785

  • 作者:遠山 美都男
  • 発売日: 2013/10/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

副題は『皇位継承事件に隠された真相を探る』

歴史読本の連載記事をまとめたものらしい。言われてみれば確かにそんな雰囲気がある。とは言っても私が最後に歴史読本を読んだのは高校生の頃なのだけれど。

感想:やっぱ孝謙天皇だよねえ…


暗手 (角川文庫)

暗手 (角川文庫)

  • 作者:馳 星周
  • 発売日: 2020/04/24
  • メディア: 文庫

私が好きで好きでたまらない馳星周の、愛して止まない『夜行虫』の続編。

感想;その次に愛して止まない『不夜城Ⅱ鎮魂歌』からの『不夜城Ⅲ』に対して抱いた想いとだいたい同じ。


近頃、私にしては本をよく読むようになった。
おかげでこのブログはなおざりだ。

永瀬隼介『凄腕』読了

凄腕 (文春e-book)

凄腕 (文春e-book)


初見の作家。
表紙の歌舞伎町の写真で購入を決めた。

本をあまり読まない私が思うに、歌舞伎町を舞台にした本というのはおおよそB級と相場が決まっていて、当たりくじを引くことは滅多に無いのだけれども、途中でぶん投げるレベルの困ったちゃんに出会うことも同じくらい無い。したがって、読みたい本が見当たらないならとりあえず歌舞伎町モノにしておけばえんちゃう?という程度に信頼してよいことになっている。


で、本作もどちらかと言えば予想を裏切らない出来で、総体としてはまあまあといったところなのだが、下っ端ヤクザやチンピラの描写が光っている。三下の閉塞感。いい思いをしたくて業界に足を踏み入れたが、彼は自身の技量ではのしあがれないことを理解している。かと言って足を洗う度胸もない。次の当てもない。小間使いで凌ぐ毎日。必死に足掻く様に悲哀感が漂う。そして、結局は誰かに利用されて終わってしまう点も秀逸。彼らはただの脇役なんだけど、この部分を掘り下げたら大化けしそうな気がするなあ。


なお、別に歌舞伎町モノではなかった。

うさぎ小屋を巡る話

底冷えした日曜の朝、厚手のジャンパーを着た息子と私は、小学校に忍び込んだ。


通用門から侵入して、左手に体育館を右手に給食室を眺めながら進み、教員用の駐輪場を抜けたところの第二校舎の裏に、目的の小屋はある。


小屋ではうさぎが飼われている。

私が知る限り、かつては二羽いた。いまは一羽しかいない。相棒の一羽はのっぴきならない事情があって何処かへ去ったのだろう。息子は、死んじゃったのかな?と淡々した声色で言った。そうかもね、と私は応じた。お引っ越ししたのかもしれないよ? そう続けるべきか考えて、結局飲み込んだ。察しているのであれば敢えて誤魔化さなくてもよい気がした。


路肩の草を引っこ抜いて、うさぎに与えた。
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めずらしく食い付きがよい。以前この小屋を訪れたときはこれほど不用意に近づいて来なかったし、ひと口つまんで終わりだったはずだ。


ひとしきり草を与えた後、息子は言った。
「うさぎさんの夜ご飯は?」

言われて小屋の中を見渡したが、餌受けは置いてあれども空っぽで餌と水は見当たらない。寝床らしき場所には枯れ草が敷いてあるが、おそらくそれは餌ではあるまい。飼育係の職務怠慢か、当のうさ公の予算消化計画の杜撰さかのどちらかにちがいない理由により、夜ご飯に該当しそうなものはどこにも無かった。


よく気づいたね。

ボクがそれを用意してあげるんだ。


息子を見下ろしながら、私は言った。
(続く)

藤堂明保『倭国伝』を読んだ

後漢書から明史まで、正史に描かれた日本を原文と書き下し文、現代語訳でまとめた本である。

私は人並みに歴史に関心があるほうだと思うのだが、いわゆる歴史小説が苦手でどうにもこうにも読めない。よって、歴史の本を読みたいときは学生先生が書いたものを読むことになる。


が、この本は私には敷居が高すぎた。

「倭は帯方の東南海中に在り」
なんて文を延々眺めていてもあまり楽しくない。注釈はあるが解説がないので強弱を感じ取れない。私のような無教養者には、この類の本は本棚に飾っておいて手持ち無沙汰のときに引っ張り出して部分的に眺めるほうが合っているようで、一気読みはちょっと無理だった。

そういうわけなので一家に一冊の価値はある。



倭国伝だが、隣国の記事を載せている。

ここが秀逸。正史に描かれた日本が真実を示しているかはともかく、当時の中国人が認識した日本であることは事実なので、一方で他国をどう捉えたのかを知らなければ片手落ちだ。

また、この部分の記事が滅法おもしろい。



礼をするときに高句麗人は片足を後ろに引く

へえ。西洋の貴婦人のお辞儀みたいな感じかしら。でも、現在の半島の人はしないね。近頃、高句麗が中国の王朝か朝鮮の王朝かで揉めているようだけど、この風習だけを取り上げてみれば、高句麗と朝鮮に連続性はないようだ(すこし意地悪な言い方だね)。


一方、倭人は目上の人に対して拍手をした

へえ。私はしない。でも、する。これはたぶん柏手のことを指しているのだ。二礼二拍なんとか。神社の賽銭箱の前で年に何度か手を打つなあ。いまでは神様にしかしないが、むかしは道端で偉い人と出会うたびにしていた。倭人と私たちは繋がっている。


英雄がどうとか十万の軍勢とか威風堂々の城だとか、そういう歴史も楽しいが、今と昔は何が違って何が同じなのかを想像するのは、もっと楽しい。



繰り返し書いてあるのは、使者が来たけど非礼だから追い返した/こいつら船舶数の約束を守らへん/返礼品を沢山欲しがるけどいい加減にしとけよ蛮人め、ばかりでなんだか微笑ましい。なんでも欲しがる日本ちゃんは、いつだってルール無用で自分勝手なのだ。

大門剛明『獄の棘』(は、きっと外さないよ)

獄の棘 (単行本)

獄の棘 (単行本)

新任刑務官の成長物語で、人情噺としても推理物としてもたいへんよろしい佳作短編集。

刑務所という重くなりがちな題材の割に、意外とサクサク読める。倫理や正義をやかましく語らないところがよいのだろう。エンターテイメントに徹している。


個々の話はそれなりでも通読すると高評価

こそが連作短編の醍醐味だ。これを通勤電車で読む幸せといったら(ほんとうに)ない。もう少しでキリよく一話読み終わるのに最寄駅に到着してしまって仕方なく駅のベンチで読み続けるときの喜びよ。

何事にも代えがたい幸せである。



ところで、

この題は、『獄』と書いて「ひとや」と読む。

うーん。これは読めない。私には逆立ちしても無理。字を当てるなら「人屋」かなあ、と思いながら(他にないし)スマホで検索してみると、たしかにそのような訓がある。ふーん。左様でございますか。覚えて役に立つ機会はないでしょうが、いちおう記憶しておきますかね。


どうやら私は、この作家さんが好きらしい。

教導的どんぐり公園

どんぐり公園には、家族の現実がある。


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次男坊を連れてブナが茂る公園を訪れた。

そういえば、去年もしたなあ。
去年はどんぐり将棋をしたんだっけ。


shabaduvitouch.hatenablog.com

どうやら、昨年も同じ公園の同じ石に腰を掛けて同じようにどんぐりで遊んでいたようだ。当時の記事を眺めると、一年前の私は長男に習い事ばかりさせる妻に腹を立てていたらしい。

あれからひとつ歳を重ねたが、状況はさっぱり変わっていない。きょうは、妻と長男が学習塾の説明会だか面接だかに出掛けて不在するから、私と次男坊はどんぐりを拾いに来たのだ。


やはり、腹立たしい。

どうして小学五年生が塾に通わなければいけないのか。お前の頃とは時代がちがうんだよ、と言われればそりゃまあそのとおりで、いちおう納得するのだが、習い事漬けというのが気に入らない。いまだって長男は剣道プール公文に通っているのだ。そのうえ塾を追加するの? ああもう。やめなよそういうの。いくら時間を有意義にと言ったって、人が育つには充実した時間と同じくらい無為な時間が重要なんだぞ。退屈しのぎに自発的な行動を起こす。碌なことをしない。やらかす。学ぶ。が大切で、毎日習い事に励んでいたら出来ないんだよ、こういうのは。


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一年経て、四歳児は五歳児になった。

「ボクがどんぐり見つけにいくから、お父さんは基地を守ってて!」

まかせとけ!

なあ、わかるか、お母さんとお兄ちゃんよ。たまにはどんぐりを拾いに行こう。頼むから焦らないでくれ。

伊兼源太郎『外道たちの餞別』を読む

とてもサービス精神の旺盛な作家だね。

外道たちの餞別 (角川書店単行本)

外道たちの餞別 (角川書店単行本)


最愛の友人をヤクザに暴行されたふたりの大学生が、闇に堕ちる覚悟を決め、仇討を誓う。

そんな復讐劇が

死の匂いを嗅ぎ分ける「嗅家」と近未来を覗くことのできる「視家」、ふたつの家系が存在した。

とファンタジーに展開してしまう驚き。


欲張りぶりが半端ない。これを統一感のあるトーンで仕上げるんだからすごい。作品から溢れ出る独特さも相当なもので、読み手を選ぶ作家のように感じた。学生時代に出会っていたら嵌ったかもしれない。組み合わせの奇抜さに目を奪われ最後まで楽しく読めた。



ところで話は逸れて。

人のあるべき姿にはいくつかの型があって、人物を描く小説では、その中のどれかに当てはめることになっている。仁義礼智信が有名で三綱五徳とかどこかで習った記憶がある。この作品の場合はおそらく「俠」に主眼を置いている。俠は、強きを挫いて弱きを助ける姿勢を言う。


で、常々思うのだが、小説でこれを表現するのはかなりたいへんだ。難易度が高い。手を出すな危険のラミネートを掲げたいくらいむずかしい。忠や孝の成功例は多いが、俠はあまり見ない。

なんで?

わからない。が、結局のところ、私たち日本人とって馴染みの無い魅力なのだと思う。


俠の字を眺めて直ちに任侠団体を思い浮かべるあたり、やはり馴染みが無い。「強きを挫き」は「権力や法に背いてでも」であるから、その筋の方々も当てはまらなくはないけれど。字から連想するものが限られる程度の文化しか育たなかったと言えるし、強きを挫く必要がない社会だったとも言える。良し悪しは無い。一方で、本家本元の大陸では昔から大人気の型だった。

まあ、大陸は傍においておくとして。


小説だと難易度が高く、クドくてクサくなりがちな「俠」は、漫画だと違和感なくスッと受け入れられるんだよね。ここら辺はほんと不思議。小説と漫画。どちらも御伽話だけれど、なにかがちがう。

なにがちがうんだろうね。