かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

『ファクトフルネス』を読んでないけど語る

読まない本を語る。
たまにはそういうことがあってもいい。


目次を眺める。

眺めた限りにおいて、

「人間には元来備わった負の本能があります。思い込みと呼んだほうが正しいかもしれませんね。でも、それはあなたの可能性を狭めるものであり、世界を歪めてしまうのです」

的なことを、翻訳文体と洋画っぽい声優の声で語ってそうな雰囲気がある。

いや、なんとなく。


ちなみにこの本

妻の本である。

「こんな本を読んでるよ」と妻が言いだしたとき、それは「おまえも読め」の意である。けれども、いままでお薦めにしたがって読んだ本なんてほんの僅かである(しゃばけとか万城目学とか)。

妻が読書の楽しみを知る人で良かった。
おかげで読んでない本が手元にあるのだから。


そういうわけで「はじめに」と「あとがき」すら目を通していない。表紙と目次だけ。


目次にあった十の思い込み
・分断本能
・ネガティヴ本能
・直線本能
・恐怖本能
・過大視本能
・パターン化本能
・宿命本能
・単純化本能
・犯人探し本能
・焦り本能

やっぱ、人を惹きつける本はちがう。

目次だけで「なんかわかる。真理っぽい」って思わせる。そして、この類の啓蒙本は総じて、己を再認識しろ!であるので、そうする。


私に明確に当てはまるのは
・パターン化本能
・単純化本能

かなあ。

パターン化の一例は先入観だ。
(本文でどう書かれているか知りませんが)

仕方ないんじゃないかな。先入観を持たないと言えば柔軟そうだけど、そんなのは子供と賢人の特権、もしくは綺麗事だよ。だって、経験を否定してんだもん。凡人の場合、経験が先入観をつくる。誤った先入観のせいで怪我する。修正される。の繰り返し。でいいんじゃないの? 改める機会が無いとまずいけど。


純化は頭の回転次第。

私は、物事をなんでも単純化する。複雑な事象を複雑なまま捉えていたら一歩も先に進まないから。

トライボロジーは後回しでいいって習ったよ。
「ただし摩擦は考慮しないものとする」
ってね。単純化してなんぼだと思う。過程で何かを切り捨てたことさえ忘れなければ、大惨事にはならない(といいな)。


あとは、
・宿命本能
・焦り本能

もあるなあ。

「そういうもんだよ」
宿命は諦念。
「先んずれば」
焦りは執念。過信。



なんか目次の印象とちがう。

自身を見つめて世界へ。
じゃなくて、
世界のデータを見て自らを諌めよう。
なのかしら。

題名からして、そうなのかもしれない。
おもしろそうな気はする。いま読み途中の本が片付いたら読んでみようかしら。

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志村けんに寄せて

真剣に思い返してみたけれど、やっぱり私は志村けん世代ではないようだ。


直撃したのは私より上の世代だと思う。
おそらく、私は下限ギリギリの歳じゃなかろうか。

ドリフは完全に知らない。
荒井注は替え歌でしか知らないし、高木ブー筋肉少女帯ウクレレの人だもの。長さんは俳優だね。

カトケンもびみょう。
ごきげんテレビは、当時、名前を知っていたはずだけれど、見てないような気がする。


だから、私にとって志村けんはソロの人だ。

『だいじょうぶだぁ』はわかる。
でも、我が家は見てなかった。ケンちゃんラーメンというのがあったのと、PCエンジンのゲームで遊んだのは覚えている。『カラスの勝手でしょ』や『さいしょはグー』は私が物心ついたときには既に常識になっていた。


さて、弟からメールが届いた。

そうそう。たしかにあった。
さいころ、我が家には志村けんのサイン色紙があった。ちゃんと△△さんへと書いてあるやつが。



もったいないことをしたのかな。
私たち兄弟には価値を理解できなかった。仕方がない。当時は東村山がどこにあるのかも知らなかったんだから。

東村山音頭が好き。

でも『いっちょめいっちょめ』をリアルには聴いてない。昭和25年生まれの彼は出身地をネタにした。むかしの東村山はネタになるくらいのどかだったのだ(いまも割とのんびりしてるけど)。現在なら許されないだろうね。


知らないなりに彼の事績を覗いてみると、まず、意外と整った顔立ちに驚く。変顔しか見たことがないから。老いた顔も老いたなりにかっこいいし、ドリフに加入したときの古い映像に映る彼は、いまで言うイケメンだ。いつのまのか、バカ殿化粧か、酒が入ってそうな顔しか見せなくなったようだが。

あと、言葉が特徴的だね。

いまこういう関東弁を使う人はあまりいない。「おめえが言ったんだべよ」「なにすんだよバカヤロウ」「オイコラ、やめろっつってんだよ」をヤンキー風を出さずに自然に使うのはけっこうむずかしいよ。早口でまくしたてる喋り方は芸ではなく、時代かな。



家庭次第ではあるが、私があまり知らないのだから、私より下の世代はもっと知らないだろうと思う。

それでも世間は彼を惜しむ声で溢れている。

知らないであろう人々が彼を賞賛して止まない。きっと、真に愛される人というのは、彼みたいな人にちがいない。


たいして知らない故人を題材に書くのはどうかと逡巡していたのだが、世の中の賛辞を聞いて考えを改めた。芸能人は話題にされてなんぼだ。

合掌

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中華大乱的ななにか

退屈。酒を飲みながらウィキ先生を眺める。


黄巾賊は英語だとイエローターバンになるのか。へえ、そうなんだ。なんかかっこいいな。じゃあ、他の連中はどうなってるのかな?

と展開したので、そういう話。


生しらすの紅葉おろし和えは英語でなんと?)


紅巾の乱レッドターバンだった。

彼らが身につけたのは、ターバンじゃなくてバンダナな気がするし、ターバンだと中近東や印度っぽいけど、まあいいか。朱元璋は、頭に赤いターバンを巻いてシャムシールの曲刀を振り回しながらラクダにまたがって砂漠を駆けまわったんだな、きっと。

ちなみに、紅楼夢レッドマンションらしい。なんかすごくちがう。


白蓮教徒ホワイトロータス
直訳でおもしろくない。売れないロックバンド風。


赤眉の乱レッドアイブロウ

これはかっこいい。
赤眉ならキリッとした秀麗そうな感じだし、レッドアイブロウだとお化粧がばっちり決まってそうなビジュアル系の匂いがする。

実体はただの農民蜂起なのだが。


黄巣の乱ハンチャオの乱。
人名だからね。イエローじゃない。




しかしながら、

英語版ウィキペディアで中国に関する記事を読んでも、ちんぷんかんぷんである。私の頭にはなにからなにまで漢字と音読みでインプットされているので、中国語発音をアルファベットで表記されてもさっぱりだ。


秦はQinで、新はXinで、晋はJinで、清はQing。

これでは西洋人が東アジアを知らないのも仕方ない。無理だ。暗号やでこんなん。私が思うに、黄禍論や中国人は不思議な人といった考えの根元は、こういうところにある。人口や国土の大きさではなく、国家の勢いでもない。文化の基礎を共有してないからというのも少しちがう。単純に理解不能だから怖いのだ。


あと、中国の文物の英語表記は頼りにしないほうが吉です。訳が定まるほど膾炙してないから。訳者によってバラバラです。

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新たまのおつまみ

妻と子どもたちが実家に帰ってしまったので、きょうは冷蔵庫を漁る日である。いまは新たまねぎの季節だから(というより冷蔵庫に新たまがあったから)、これを使わない手はない。



たいしたことないのはお察しください。

でもうまい。
荒切りした新たまをめかぶの上に乗せて、ポン酢を数滴垂らすのだ。めかぶの上に新たま。ここ重要。あと、ポン酢を数滴はむずかしい。ポン酢の瓶を傾けて手首をトントン叩きながら微調整する。たまに失敗してドバッと出たら呪詛を吐く。つーか、ミツカンさんは密封醤油ボトルのポン酢バージョンをつくるべきだ。いつまで私に手首をトントンさせるつもりか。可及的速やかにお願いしたい。

シャキシャキとヌルヌルの相性が抜群である。



アジフライとサラダは昨晩の残りもの。

ここでも新たまが登場する。
新たまの上にキムチを乗せて。新たまの上にキムチ。順番が大切。逆では駄目で、混ぜるのは論外。白菜のキムチは味が濃すぎるのが難点で、ゆえに新たま投入なのである。味と歯応えに緩急がついてなかなかにうまい。

ごま油を加えたら居酒屋で通用するレベルだと思う。


量はほどほどにね。

新たまであっても生のたまねぎ。食べすぎると胃をやられてしまうから要注意。

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写真供養祭

写真を撮る。

もちろんスマホで。立派なカメラなんて持ってない。一眼レフがなんだか知らないし、一眼じゃないのは双眼鏡?ってくらいにわかってない。


ブログ用に撮る。

撮るときは、この写真を使ってあんな記事を書こうと、仕上がりを割とはっきりイメージできている。しかしながら、翌日にはどうでもよくなっていて、翌々日になったら、書くのはいいけどそれは他人様に見てもらう意義あんの?となり、けっきょくお蔵入りすることが多い。



そんな写真たちの永代供養。


お粘土おねえさん。

ここ最近の私と次男坊のアイドルである。おねえさんが降臨すると、我々は襟を正して正座し手を合わせる。復唱の準備はオッケーだ。

レッツこねこね〜!



甘いものはあまり食べない。

文句無くおいしいんだけど、ひと口つまんだら満足してしまうから。「ひと口だけちょうだい」は何処でも誰にでも言う。困らせて申し訳ない。



なんじゃこれ。

記憶にない。が、如何にも私が撮りそう。たぶん、イチローっぽい人を観に行きたかったのだ。あるいは、キャリーぱみゅぱみゅっぽい人にピンと来たか。



鳩の軍勢を蹴散らす一騎当千の若武者。

鳩は、よく見ると脂肪でテカテカだし模様もアレだし、首はくきくきしてるし、あまりかわいくないよね。的な文を書きたかったはず。いや、それはいま思いついたのかも。



思うところがあったのだが。

賞味期限切れでもう無理。時を経て、折を見て、それでも意欲が残っていれば書きたい。つーか、その前に少し下調べが必要。


活用できなくてごめんな。
私のかわいそうな写真たちよ。

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よくわからないベトナムの話

ベトナムは、漢字と箸の国である。

越南とも書く。
というか、もとは漢字なのだろう。
ベトナム viet nam 。広東語なら yut naam 。日本語の音読みはエツナン。エツナンと十回唱えれば、それっぽい音になる。


漢字と箸の国だから、中国の影響がある。

直接支配された時代もある。そこら辺は朝鮮と似ている。ナショナリズムの話ではなく。中原で戦乱が起きると流民が辺境に逃げだす。そして土着化する。やがて利権を求めて役人と軍隊がやって来る。むかしは、国境に鉄条網があるわけじゃないし、そもそも国境なんて存在しなかったから、人が動く。政治やイデオロギーよりも先に。なんともダイナミックだと思う。


ベトナムと朝鮮は似ている。
けれども、当然ちがう。

朝鮮は中国になりたかった。
というより保護してもらいたかった。ひとりきりだと、北の騎馬民族や東の狩猟採集民、南の大武士団に襲われるから。悲しいことに。

一方、ベトナムは中国になりたくなかった。
放置されたかった。中国さえ来なければ地域一番店でいられるから。いまでも仲が悪い。悪いというより、単に中国に近寄って欲しくないのだ。悲しいことに寄ってくるのだが。


そういう事情があるので、中華の衰退期に朝鮮は変動する。中華の最盛期にベトナムが変動する。



いま、私の周りにベトナムの方がたくさんいる。

同じ部署にはいないが広く見渡せば職場にもいるし、職場は彼の地で仕事をしている。また、コンビニの店員さんのベトナム率は驚くほど高い。ナショナリズムの話でなく。居るから居るのだ。居るもんは居る。事実として私の周りに居る。


で、居るのであれば知りたくなる。
でも、いくら眺めても、どれだけ会話しても、文化の共通点を見出だせないんだなあ。なんでだろうかねえ。

日本だって漢字と箸の国なのだから、従兄弟程度だと思うのに。彼らが漢字を捨てたせいかしら。それとも、文化なんてのは、文字や食器でつくられるものじゃないってことだろうか。


と、そのような感じでベトナムの人を眺めているのだが、いつも堂々巡り。

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お花見

外出を控えれば鬱憤が溜まる。

大人は、外出を控えなければどうなるか承知なのだから、ストレスを受け入れるしかない。それにしたって、己の裁量で上手にやれる。でも、幼児はそうはいかない。家に閉じ込めておくわけにはいかんのである。主に教育上の都合により。


よって、きょうは花見へ。


桜はまだまだ。
一部咲き。大部分は来週。満開は再来週かなあ。

パンジーやチューリップの花見だって楽しい。
花が咲いて、樹木の下で、茣蓙を敷いて、弁当を食えればそれでいいじゃないの。近所の公園だってすてきな花見の場所だよ。何の不満もない。


花いちもんめ。百花繚乱。秘すれば花

一匁でも百花でも、それに応じた美しさがあるのだから、花にまかせて楽しんだらいいんじゃないかな。あと、秘すれば、であり、秘されても、だよ。見たくても見えない花。これだって美しさのひとつだと思うんだ。

楽しみ方は私次第。



人はまばら。亀はたくさん。


花見を決行するには少々寒い日だった。

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