かく語りき

単身赴任で上京してきた今藤のブログ。最近の趣味は休日ジョギング。フルマラソンは未経験です。

『真説・毛沢東(下)』を読む(私には大陸に対する憧憬の念がある)。

下巻、である。
本屋の棚に並んだ上下巻を見て、どちらかにしようか悩んだ結果、下巻を手に取った。文革の生々しい剥き出しの感情と凄惨な粛清を見せられるのはこの上なく辛いとわかっていて、下巻を選んだ。


真説 毛沢東 下 誰も知らなかった実像 (講談社+α文庫)

真説 毛沢東 下 誰も知らなかった実像 (講談社+α文庫)


毛沢東は英雄である。

朝鮮戦争までは確実に。百歩譲っても人民共和国の建国までは。

それ以降は…ご存知のとおり。同時代を生きた中国人の前で言えたものではないけれど、それでもやはり中国史の英雄に名を連ねるべき存在だと思う。漢の劉邦や明の朱元璋だって統一後は似たようなものだ。ただし、彼らはせいぜい諸侯士大夫を粛清する程度だった。一方、毛沢東は全ての人民を道連れにした。



原書は2005年の出版とある。

十数年前の本だから最近の毛研究とは違っているのだろうが、それでも私は相当に驚いた。私が毛沢東について書かれた本を読んでいたのは学生の頃で、しかも父の書棚や図書館で見つけた古い本ばかりだったから。

たとえば林彪事件
かつて私が読んだ本に、亡命の過程を詳細に記したものは無かった。そしてどれも中国による撃墜の可能性を否定しなかった。当時はわからなかったからだ。でも、本書には『トライデント機が中国側によって撃墜されたものではないことを明白に表している』とある。私の無知を差し置いて言えば、それくらい開放前の中国は日本から遠かったのだと思う。



原書が英語で書かれたせいだろうか、あるいは私の勉強不足のせいか、(もちろん後者だが)驚きは尽きない。


些細なことだけれど、朝鮮戦争についてそれなりの行を費やした文章で、マッカーサーのマの字も出ないのも驚きのひとつ。日本人作家なら絶対に省かない。


中国に関する文章を翻訳文体で読む違和感も、些細だけれども、とても重要な驚きである。大陸から詩的で墨彩画のような憧憬(現在の中韓両国に対する世評の差にこの影響は間違いなくあると思うんだよね。割とマジで)を消し去った。



周恩来の評価について書いておきたい。

日本人の周恩来評には多かれ少なかれ尊敬の念があらわれる。中庸の大人。がさつな中共における唯一の士大夫。私にもそのような印象がある。

けれども、本書は違う。
外ヅラの良い毛沢東の犬、諌める能力と立場がありながら屈した男として書かれている。それ自体はよくある見方で新鮮さは無いが、天安門事件(第一次のほう)すら党中央の実態と周恩来の実際を知らない庶民の暴動扱いというのはやるせない。

否定はしない。が、この人が大躍進以前に失脚していたら更に数千万の人的被害が出たんじゃないかな。短絡的な死ではなく耐え忍んで生を選び地獄を見た傑物としておきたい。させて欲しい。



知識と関心の欠如の事情でさらっと流すけど、毛沢東の行動の多くをスターリンと結びつけているのが一番の驚きかな。朝鮮戦争参戦も台湾砲撃もソ連からの援助を引き出すために過ぎなかったなんて考えもしなかった。



大躍進文革の、直視しがたい生々しい剥き出しの感情と凄惨な粛清を見ると心が痛む。

毛沢東は英雄だった。
建国を宣言した頃までは。

その後の中国を劉少奇周恩来彭徳懐が指導していたらどうなっていたのかなと考えることがある。でも、その度に考えても無駄だと思って止めた。功臣は去り、林彪江青が権力を握り、華国鋒が後継者になるのが中国の常だから。


おそらく半世紀か一世紀、または数世紀後に同じことを繰り返す。いまの中国のままならきっと。そうならないことを心から祈る。数千年もの間、世界に君臨した気概を見せて欲しい。私の憧憬どおりの中国を見せて欲しい。


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小学生がくれた感想文に寄せて

近隣の小学生が社会見学で職場にやって来た。

のは少し前のことで私は出張で不在だった。そして小学生の感想文が送られてきた。


拝読。

多くの感想文に「物ができるまで」が説明されたままに書かれていた。行を埋めるために書いたのだろう。書くのに苦労したのだと思う。(そのような見学会しかしない私の職場が悪い)

当たり前だけど、作文は技術を要する。

想いを正直に文章にしたらよいと言われても、書く訓練を受けていないと想いは形にならない。感性の豊かさと感想文の出来は比例しない。独創的な観点で人の目を引く感想を書ける人は、そのための技法を知っている人である。普通の小学生はそんな技法を持っていない。だから、はじめのうちは行を埋める感想文でいい。


感想文には絵が添えられていた。

絵日記様式で紙の上半分に絵が描かれている。おもしろいことに、文章は「すごいと思いました」「すごかったです」ばかりなのに絵は十人十色である。

見学の対象を描いた絵が多いが、いろんな角度から見たいろんな大きさや色の絵がある。同じ絵は無い。何を描いたのかわからない絵もある。中に自分自身を描く子がいた。なぜか隣に犬らしき動物がいる。見学で印象に残った事もあるのだろうが、いざ筆をとったらワンワンが描きたくなってしまったんだな。よくわかる。

絵はいいね。
文章より表現の幅が広い。技量より個性が際立つ。


小学生の愛らしい感想文に心が癒された。

(終わり)

なわけがない。それで終わらせたら、すごかったです小学生と何ら変わらない。想いを正直に文章にしたらよいと教わっただろうが。なにかあるだろ。


というわけで、
小学生お名前チェックの結果を報告する。

ひそかに期待したキラキラネームは無かった。けれども凝った名前が多い。三十前後の感想文に目を通したが、その中に□□子ちゃんや□□介君、□□太郎君はいない。一瞥して読めない名前がたくさんある。鴻さんは何とお読みしたらいいのだろう? そんな漢字は燕雀鴻鵠と鴻門之会でしか見たことがない(教養が無い)。



私の息子は作文が苦手だった。

郵便局に行った感想文を宿題にされて、書けないと泣いていた。何を書いたらいいかわからないと言う。それなら郵便局まで行くのに乗ったバスについて書いたら?と提案したが却下された。郵便局と関係ないじゃん!だそうな。家に帰るまでが遠足なんだぞ。主題から逸れていないじゃないか。
じゃあお父さんも書いてみようか。お父さんならこう書くと言って「もしも郵便ポストが緑色だったら」を平仮名で書いてみせた。テクニックで文を書くのも、読ませるために書くのもまだ早い。仕上がりを気にせず書いたらいいよと伝えたかった(のだがたぶん伝わっていない)。


大方の小学生は感想文を苦痛に感じると思う。私はそうだった。でも書くしかないんだな。さもなくば大人になって恥をかく。私のように。

修行だと思って諦めてくれ。社会に出たとき仮に直接活用しない教科があろうとも、作文が君のこれからに役立たないことはない。

がんばれ小学生!


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映画『IT / THE END それが見えたら終わり』を観た

出張中の休日は、極まりなく退屈だ。

ホテルを追い出されたものの知り合いはいないしジョギング道具も持ってきていないから暇を潰せない。地方には朝から酒を飲める店も無い。どうすっぺか。うんうん唸った。じゃあ映画でも見っぺか。となった。



映画館に到着して眺めたポスターには完結篇と書いてある。

まいったな。続きモノかい。そういえば暫く前に同名の小説があったけど、それの続編かな、でも作風がまるっきり違うじゃない…と思ってスマホで検索したところ、それは別のそれだった(そっちは『it / それと呼ばれた子』のほう)。


さらに券売機にはR15と注意書きがある。

ぐへえ。年齢制限付きか。ピエロが出てくるんだから多少のホラー風味は覚悟していたけどまさかのガチホラーか。サスペンスが主だと思ってた。そんなのはじめてだよ。苦手苦手苦手。


かと言って、映画館まで来て何もせずに引き返すなんてあり得ない。数時間は暇を潰さないとホテルに入れてもらえない。同じ時間には劇場版プリキュアしかやってない。何作か観たけど意外と面白いからプリキュアでもいいんだが子どもの付き添い無しではさすがに入れない。そんなわけで、まあスティーブンキングだからハズレは無いだろうと信じて入場した。



感想。

やはり前作は見ておいた方がいいんじゃないかな。

置いてきぼりとまではいかないけれど、背景を知らないと主人公たちの気概がイマイチ理解できない。なぜ恐怖に怯えてまでピエロと対峙しなければならないのか。逃げたらいいのに。少年時代の誓いを果たすため? 誓いの重さより恐怖の方が優っていたようにみえたけど。それとも故郷の住民を守るため? 記憶が薄れて故郷を忘れてたのでは。


あと、ホラーはホラー。怖いもんは怖い。

何度途中退場しようと思ったか。
これは怖がらせるために怖がらせているのではなく物語上の必然なんだぞ、この映画には友情という主題があって云々…と自分に言い聞かせてなんとか最後まで席を立たなかったけど、結局ただのホラーじゃん!マジ無理。勘弁してほしい。(ただし、驚かしは事前に溜めがあってタイミングが読めるので不意打ちは無い。そこは親切設計。)


終盤はインディジョーンズ的魔宮ダンジョンが舞台になっててわけがわかんないし、邦題は邦題でどうなのよと思ったりもしたし、あとポスターに「すべての謎が明らかになる」って書いてあるわりに何も明らかになってない気がしたんだけど、そこら辺はホラーの後味と比べたら些細なことなので言わない(言った)。



とりあえず、ピエロが表紙に出てくる映画は金輪際見るのをやめようと思いました。


ホラー耐性の無い私には散々だったけど、それでもアメリカの片田舎で暮らす少年達の古き良き青春の雰囲気を味わえて良かった。

だから星みっつ。★★★

(『おみくじクッキー』をこの映画で初めて見れたので星ひとつプラス。いままで文章で読んでもさっぱり想像できなかったんだよね。これがフォーチュンクッキーか)

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近ごろ都で流行る言いまわし

夜討、強盗、あとライビュ。
そんな、近ごろ気になるそこらじゅうのあれこれ。


◆ライビュ
巡回するブログに頻出する単語。

「ライブ」のオタクさん的な言いまわしだと思っていた。符牒のようなもので「びゅ」は「ぶ」の幼児語だろうと勝手に解釈した。

いやいや、どうやら違うぞ…と気づいたのは最近のことで、ラグビーのニュースを眺めていてわかった。気づくのに半年要した。ライブビューイングのことか。たしかにライブビューイングは声に出しづらいし書きにくい。別の呼び名が必要だ。納得。私には必要ないけれど。

世の中にはいろんな略称が出回っている。



◆ものです文体
「競輪で一文無しになって生活が苦しいものです。こんにちは」的な。

かわいらしい表現だなと思うのだけれど、私が使ったらたぶん東京湾に沈められる。だから使わない。大阪湾は汚いから沈みたくない。

けっこうな頻度で目にする。
女性が使うことが多い。気になるので注意深く眺めてみれば、未成年やギャルは使わないし、子育てを終えた世代も使わない。その間にいる妙齢の方々が好んで使う(ように見受けられる)。

そこまで特定できるのだから元ネタがあるに違いない。世代を直撃したに違いない、真似るほど影響を及ぼしたなにかがきっとある。でも探し出せない。もどかしい。エッセイ?漫画?すごく知りたい。



◆行政。ぎょうせい。
アナウンサーの発音がなんか変。

発音記号はわからないので説明しづらいんだけど、私の「行政」は「妖精」「陽性」と同じで強弱の無い平坦な音。アナウンサーのそれは「旺盛」「メーデー」のように頭にアクセントがある。

テレビから聞こえるたびに振り向いてしまう。訓練を受けたアナウンサーと私のどちらがおかしいといえばそりゃ私に決まってる。でも私は間違っていないはず。昔からそんな発音だったっけ?



風吹けば 落つるもみじ葉 水清み。
もう紅葉の季節か。早いな。

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ハッピーハロウィーンのお化け椎茸

きょうはハロウィンの日。やったぃ!

で、ハロウィンてなに?
知らない。どこかの民族の祭りが起源のはず。キリスト教由来ではなかったような?


では訊いてみよう。
気になったら直ちに調べる。これ大事。ウィキ先生には頭が下がります。大抵のことは教えてくれるからね。

この収穫祭は毎年現在の暦で言えば10月31日の夜に始まった。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、かがり火を焚き、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。

ふうん。収穫祭か。

この季節の祭りでカボチャなんだから、そりゃそうか(カボチャの実る季節なんて知らないけど)。

まあいい。収穫祭ならオッケー。
お祝い可。便乗可。可よ。

(「大切な人に感謝の気持ちを伝える日です」みたいな似非道徳が書いてなくて良かった。ハロウィンはいいね。子どもとお菓子。素朴さがいい)



ケルト人はお化け南瓜。我が家はお化け椎茸。

古来より本邦では秋が来たらキノコを食べるものと決まっている。


「見なよ。椎茸だってさ」
息子を呼ぶ。
「すげー! ほんとに椎茸? これが?」
驚いてくれてありがとう。

私の手のひらほどの大きさ。でかい。

「ちょっと!」
はいはい。
「持っていかないでよ!汚いじゃない!」
へいへい。

ったく。子どもたちに見せないでどうするの。見たら触りたくなるし、摘んでみたいものだよ。心を豊かにするってのは、こういうことの積み重ねなんだぞ。食べ物で遊ぶな、はわかる。でも、遊ぶに決まってんだろ。こんなん。


きょうの夕食はなにかな。超たのしみ。

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黒川博行『果鋭』読了

果鋭

果鋭

あのコンビが今度はパチンコ業界に殴り込みだ!

本作の紹介は、この一文でおおよそ足りる。


なお、あのコンビとは、イケイケヤ印のほうではなくて、元マル暴の二人組のほう。イケイケ稼業人の二人組にもパチンコ屋相手にゆすりたかりをしていた作品があったような。貸玉遊戯場はヤクザとカネの話に繋げやすい上に警察の闇なんてオマケが付いている。だから小説のネタにされる。気の毒な業界やで。ほんま。



黒川博行は大阪を舞台にした小説を書き、軽妙な大阪弁が持ち味と評価される。

うん。そう。そのとおり。異論は無い。無いんだけど、なんか違うんだよなあ…と読むたびに思う。


まず、大阪弁が私の知っているそれと異なる。

そりゃリアルヤクザの喋り言葉なんて知らないけれど、役割語を考慮してもやっぱり違和感がある。不自然ではない。でも違う。違和感の正体はわからない。船場言葉や北摂弁、泉州弁に河内弁、いずれとも異なる不思議な大阪弁


地理風俗もしっくり来ない。

作者の大阪は鶴見花博で時計が止まっているの? いつの時代の大阪か、と思う。いつまでたっても中国人が青龍刀を振り回している歌舞伎町小説と同じくらい変だ。

エンタメ小説的大阪の限界か。


「遠隔操作はない、というのがホールの建前やで」

「そんなもん、競合店があるホールは、みんなやってる。でないと潰れるがな」

遠隔は存在する。
この前提で物語は進む。

遠隔など存在しない。
という意見もある。「そんなことしなくても儲かる仕組みになってるんだから。廃業のリスクを負ってまでしないよ」なるほど。理屈だ。


グレーな世界。
だから某パチンコ屋は2兆円企業にもかかわらず東証に上場を拒否された。

グレーな世界。
だからパチンコ屋は嫌われる。
でも、その理由は適当では無い。と私は思っている。色の濃淡は焦点じゃない。たとえ法的な問題が解消されようと、如何に公明正大な博打が行われようと、パチンコ屋が許容される未来は無い。パチンコは競馬競艇に成り得ない。理由は単純で、私個人私企業が胴元の博打を現代日本人は認めないからである。
日本版カジノの成否は多分そこにかかっている。成功したければ徹底的に『私』を隠すことだね。



私は、大阪で暮らすハードボイルドファンだから黒川博行が大好きで、新刊が出れば買う。読めるだけで幸せだ。

ハードボイルドは人を選ぶので駄目な人には駄目なジャンルで、大阪弁も似たところがある。そのふたつを武器に直木賞を取るんだからすごいよね。もうすこし話題になってくれるとうれしいな。

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キャバクラ的故事成語

楚人に盾と矛をひさぐもの有り。


『君子危うきに近寄らず』
やめとけって。断るべきだよ。


『義を見てせざるは勇無きなり』
でも、せっかく誘ってもらったわけだし。


『火中の栗を拾うこと勿れ』
いやいや落ち着け。嫌な予感しかしないじゃん。


『虎穴に入らずんば虎子を得ず』
あっそ。好きにしな。けどお前、男だろ?


『覆水盆に返らず』
言わんこっちゃない。


『死して屍拾うもの無し』
だれか拾って!



結果、五萬円也。

業界団体の委員会に出席。その後、有志で飲みに行って三次会がキャバクラ。三人で十四萬円也。
(注:写真は関係無いです)


酒池肉林。やらかした。

邯鄲の夢。何時間いたんだっけ。二日酔いがひどい。

自業自得。妻にばれそうだ。カードで支払ったので絶対にばれる。見逃してもらえる金額じゃない。

現実逃避。そういえばスナックとラウンジとクラブの違いはカラオケの有無と何かだと聞いたような。だからなんなのか。本当はこんな文を書いてる場合じゃ無し。


どう言い訳しよう。適当な嘘が思いつかない。先んずれば人を制す。怒られる前に頭を下げる他無し。首を洗って沙汰を待て。できれば武士の情けを賜りたい。


国士無双。昨夜の私は韓信だった。
臥薪嘗胆。予定ではあと一時間後に勾践になる。

しばらくは薪に臥せ肝を舐めて過ごす所存。



楚人、己の財布を褒めて曰く
「金なんてどうにでもなるんだよ」
キャバ嬢続けて曰く
「じゃあ延長!しちゃお!しちゃお!」
或る人曰く
「その金額と支払先が奥さんに知れたらどうなるの?」

楚人、答うこと能わざる也。

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